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立松和平さんのメッセージ ~「子供の庭」~ [生活]

環境保護に活躍されていた作家の立松和平さんが逝去されたとのニュース。
残念です。
立松和平さんの文章で強く心に残っているものがあります。

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保育園のニュースレターに掲載されていたものです。引用します。


子供の庭
  作家 立松和平

 一番大切なのは、日常的な感覚である。自然を子供に見せるにしても、頑張ってわざわざ遠くに行くよりも、身近なものが尊い。知床や白神山地や屋久島にいかなくても、充分に自然は見える。

 私は庭にいるのが好きな子供であった。宇都宮の住宅街に家はあったのだが、両親は二人とも働いていたので、庭の手入れなどまったくされていなかった。父は勤めていて、母は表通りに食料品店を出していた。母の店は結構繁昌していて、私は店の裏にある庭で一人遊びをしていることが多かった。

 雑草が生い茂った庭は、建物をあわせてわずか六十坪しかなかったのだが、小さな私にはジャングルのように魅力にあふれていた。人が通ると、そこに道ができる。露出した土の上には、蟻が歩いていた。私は地面にしゃがみ、歩きまわる蟻を上から見ている。蟻からは、自分はきっと天の神様のように見えるだろうなと想像した。

 一匹の蟻に狙いを定めると、その蟻を可能な限りどこまでもどこまでも追っていった。蟻にすれば、私が天の上から見ているなど想像もしない。いつものとおり、蟻は自然に歩きまわる。それをしゃがんだまま追いかけていくのだ。

(中略)

 その地面から、科学が生まれてくるかもしれない。詩や音楽や絵画が生まれてくるかもしれない。私にとって雑草ばかり生えた小さなその庭が、その後の人生の原点なのである。そこにも季節が流れていき、秋になれば秋の虫が鳴き、冬になれば霜柱が立った。

 子供の想像力が無限である。子供が何を見て何を考えているのかわかりにくいものだが、大人の見識ですべてを押しつけてはいけないと思う。私の両親のありがたかったことは、忙しいので子供を自由にさせてくれたことだ。」

(『ないおん』2009年4月号,竜が丘保育園)


そういえば、自分もアリをしゃがんで見ているのが好きだったなあと思いだします。忙しく動き回るアリがエサを運んでいたり、ときにはアリの卵を運んでいたり。アリの巣が気になって掘り返したりもしたっけ。

子供に時間をあまりかけてあげられない・・と常に罪悪感をもつワーキングマザーの立場からは、最後の文章に心が救われた気がしました。
親が忙しいので子供を自由にさせてくれてありがたかった、なんて・・・。

もちろん、無関心によるただの放任はいけないと思いますが、子供の自分で世界を感じ取る力を信じて、見守りつつ自由にさせることも大切なんだとあらためて気づかせてもらいました。

立松和平さんは、もしかしてワーキングマザーの心境にも配慮して文章を書かれたのかな・・・
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