ピュアな心と成長と。 [生活]
心を癒すやさしい光。 [生活]
地域の交流を促すためには・・・ [生活]
前回、足裏刺激施設がある公園や足湯を紹介して、地域の交流に一役買うのではといった内容を書いた。人と人との交流ということを考えたとき、何らかの「口実」が必要だと思う。つまり、誰かと交流したい、知り合いたい、と思ってその辺をウロウロしても、なかなか人と交流できるものではないが、足湯のような「口実」があれば、そこに行って足湯につかりながら、付随的に人と会話したり知りあったりすることができるかもしれない。
それをうまく表現したのが、ノルウェーの住宅に関する文献のなかの次の文章だ。
「それからインタビュー担当者はある男性にインタビューした。彼はもうなくなってしまった古い地域に生まれてからずっと住んでいたが、現在は新しい家に引っ越していた。
今まで古くて設備の整っていない住宅に住んでいたのなら、お湯が出てセントラルヒーティングのある住宅に住むのは嬉しいでしょう?
男性は明らかに感謝しなければならないことをわかっていた。彼は、今住んでいるところはいいところです、とインタビュー担当者に言った。しかし彼はこうも言った ― ここには何かが欠けているのです。そう、共同のまき小屋がないんです!
・・・ まき小屋はまきを集めておくという機能だけでなく、社会的な機能ももっていた。共同のまき小屋は住宅の近くにあり、まきを取りに行くという作業のために行く場所だった。― が同時に、同じようにまきを取りに来た人々と交流する大きなチャンスを与えてくれる場所でもあったのだ。しかし―これは重要なことなのだが―まき小屋は交流が第一の目的の場所ではない。交流があったとしても、それは実際の機能の副産物である。誰にも出会わなかったとしてもまき小屋に行ったことが無駄になるわけではない。」
(Husbanken, 1987, "La oss bo midt i livet!", Oslo, pp.30-35)
人と人との交流を促すためには、何らかの「口実」や目的をもった人が集まる場所を確保することが有効だろう。人間同士のつながりが希薄になり、実際に顔を合わせるコミュニケーションが少なくなっている今日の社会では、交流そのものを目的とした場所を確保するだけではなく、現代の「まき小屋」をどのようにつくって、人とのつながりがもてる地域社会をつくっていくかを考える必要があると思う。